「清原淳平」項の表題部の「関連性の高い検索」の誤りを正す
Gооgle内の「清原淳平」の項の表題部に、「関連性の高い検索」として、それを見るよう
に誘導している記事が掲載されていることについて、その記事内容が事実に反する、あるいは清原
淳平およびその執行する数団体とは関係のないことを、令和5年春にも、このホームページ冒頭に
記しましたが、今回もまた、「清原淳平」のGооgleの表題部の中に「関連性の高い検索・・・
清原淳平-統一教会」との各種の記事が掲載されています。
それら記事をみますと、当団体は岸信介元総理が創設した3団体を執行しておりますが、そのう
ち、「新しい憲法をつくる国民会議」(=自主憲法制定国民会議)について言っているようですが、
しかし、問題にしている記事は、昭和47年の毎日新聞などから採ったもので、その当時、新聞に載
った白黒写真の画面を載せていますが、その2年ほど後に、岸信介元総理は、その主催団体の「谷
口雅春生長の家総裁」と絶縁しており、またそうした会合に参加していた「統一教会系の勝共連合」
などとも、1993年ごろ報道新聞などで統一教会グループが日本国で高い韓国製の壺や印鑑を売り付
けたり合同結婚式を韓国でおこなって高い金額を得ていることが社会問題になったことから、それ
は憲法第13条の公序良俗に反しますので、それ以降、当方の団体が先方の団体に入会したり、先方
の団体が当方の団体に入会することは全くありません。
こうして、「関連性の高い検索」なるものは、半世紀以上も昔のことを毎日新聞写真などを根拠
にして、先方の団体と当団体とが「関連性が高い」などと記しているわけなので、Gооgleも
こうした「関連性が高い」といった記載をしないよう、お願いします。また、こうしたことは、当
方まで、問い合わせてもらえば、すぐ分かることですから、こうした「関連性の高い検索」などと
いった記載は、天下のGoogleの信用に係わりますので、向後一切されない方、よいと思います。
次は、こうした問題に対する、岸信介元総理が、私に対して語った記録です。
清原淳平著書『国民のための憲法改正学への勧め!』 ~~現行憲法の全条文の解説・問題点~~
319頁~320頁 参照
令和5年5月3日発行 善本社刊
以下のものは、この春頃に抗議したものです
「清原淳平」と検索すると、「関連キーワード」の項があり、いろいろと真実でない記載が出ているので御注意・お知らせ
清 原 淳 平
1)「清原淳平 統一教会」なる記事について
清原淳平が執行理事を務める「公益財団法人 協和協会」の創立会長は岸信介元総理であったご縁から、3人の代表理事の一人に創立会長の孫に当たる岸信夫前衆議院議員をお願いしていた。ところが、昨年、信夫議員が防衛大臣在任中の記者インタビューで、「選挙の時に、統一教会の世話になっている」趣旨の発言をされたので、インターネット上で上記のように「協和協会=統一教会」と関連付けて書かれたものと思われます。
しかし、岸信夫氏は、内閣の閣僚中や副大臣を勤めた時は、当団体との関係を休職しており、また、当「協和協会」は公益財団法人なので、信夫議員の選挙運動に、過去にも一切関与しておりませんので、この関連キーワードは削除下さるようお願いいたします。
2)清原淳平が、「岸信介元総理の秘書」と表記される件について
清原淳平は岸信介総理の時代に、西武財閥の総帥であり衆議院議員でもあった堤康次郎氏の秘書であったが、それ以外にだれの秘書も勤めたことはない。後世、岸信介元総理創設に係る3団体の執行を委ねられたが、それは全て、執行理事としてのことである。
清原淳平のプロフィール
その内容は4項目に分かれる。1、学歴。2、西武グループ総帥秘書室時代。3、西武退職後の苦難と執筆時代。4、岸信介元総理創立の4団体の執行責任者に任命される。その4団体の詳細は、その各ホームページをご参照。
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清原淳平の著書
昭和48年に出版した『この教育をどうする 』と昭和51年の『人づくり世直しを考える』につづいて、平成4年には、『憲法改正入門 ──第9条の具体的改正案を提示──』を出版。以降、憲法関係の本を合計4冊著している。
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清原淳平の論文
清原は、教育問題、農業問題、そして憲法について、数多くの論文を雑誌に発表している。平成3年には『植民地憲法に甘んじるのか! 湾岸戦争を教訓に今こそ憲法改正を』と題して、憲法改正について論じている。未発見のものは発見次第掲載する。
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報道
清原淳平は、自主憲法期成議員同盟・自主憲法制定国民会議の事務局長を務め、その後、自主憲法制定国民会議の会長となっている。また、公益財団法人協和協会では代表理事兼専務理事を務めている。その立場から多くの報道記事がでている。
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編集・発行した冊子
自主憲法制定国民会議の 現会長である清原淳平は、以前、自主憲法期成議員同盟と自主憲法制定国民会議の事務局長を兼務していた。憲法改正への国民の理解を深めるために、両団体より、書籍や小冊子を数多く編集・発行している。
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岸信介元総理の書
清原への為書は、掛け軸1、横額1、色紙2があり、岸元総理が書いて清原に与えた経緯も書かれている。そのほか、各団体の機関誌表紙への題字として『提言』と『憲法』がある。また、色紙1枚については、書かれた意義も付記されている。
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機関誌『憲法』
「第12回国民大会直前号」までは、タブロイド版『憲法』が制作されていた。昭和57年の春、清原は、28頁建ての機関誌報告号をつくろうと決心。会長である岸信介元総理にお願いして「第13回国民大会」の報告号から機関誌風『憲法』へ刷新した。
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機関誌『提言』
財団法人協和協会が、昭和49年12月に岸信介元総理によって設立された。その機関誌を発行することとなり、清原淳平事務局長が編集発行人となって、昭和56年1月に『提言』創刊号を発刊。以来、平成3年の第42号まで発行をつづけた。
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岸信介元総理を慕って集まった人材
「(財)協和協会」の設立は昭和49年だが、岸元総理が現職衆議院議員であったため、本格活動は次期衆議院選に出馬しない宣言をされた昭和53年秋で、常務理事に任命された清原が各界を駆け回った結果、参加された方々の名簿である。
財団法人 協和協会 昭和55年12月当時の名簿